開湯1000余年の歴史を誇る古湯、昔ながらの湯治場の風情が漂う俵山温泉へ。
今もほとんどの湯治宿には内湯がなく、
朝な夕なに共同浴場に通う浴衣姿の湯治客の下駄の音が、からんころんと石畳に響く。
ここでは時間も、ゆるやかに流れていく・・・。
千年湯の伝説
俵山温泉は、山口県長門市の南西部に位置し、木屋川の上流、正川の浅い谷あいに開けた、標高約150メートルの湯治場。山と川に抱かれて、車がやっと1台通れるほどの一方通行の狭い小路を挟んで、木造の小さな旅館が36ほど軒を連ねている。
地元では醍醐天皇の延喜16年(916)、薬師如来(やくしにょらい)の化身である白猿(はくえん)に導かれて温泉が発見されたと語り継がれている。
温泉によって心身が癒やされる効能を、神仏のありがたい霊験とみなし、薬師堂を祭ったのが、湯治宿を見下ろす小高い丘に建つ、白猿山薬師寺(はくえんざんやくしじ)である。ここには、かつて入浴と薬師信仰によって治癒した人々が松葉杖を奉納していた。行きは松葉杖が必要な湯治客も、帰りは不要になるほどの効能と霊験への感謝を物語る逸話である。

白猿山薬師寺
毛利のお殿様湯
萩や長府のお殿様が湯浴みした俵山・湯本・湯田・川棚の4つの温泉の中で俵山温泉は、慶長15年(1610)に記帳された検地帳には、湯田温泉の3倍、川棚温泉の10倍もの湯税を払っていたことが記されている。このことからも大勢の湯治客が往来し、繁栄していたと推測できる。
藩政前期には、湯屋※1は萩藩の直営で、早くから民衆に開放して、健康増進に役立てる政策をとってきた。歴代萩藩主も、俵山温泉の御茶屋※2に滞在して湯治を行い、鷹狩りや野歩き、舞踊や芝居見物などを楽しんでいる。藩政中期には、権利を得た28軒の湯宿※3が湯銭を徴収する制度が始まった。
※1湯屋…湯壷がある温泉入浴所
※2御茶屋…藩主とその関係者の公館・休憩所
※3湯宿…宿泊する場所

昭和初期に、画家・吉田初三郎によって描かれたポスターを現代に甦らせ、「西日本一の仙境」といわれた俵山温泉の変わらぬ姿を今に伝えている
農村文化としての湯治
俵山温泉の湯宿は、藩政時代から近年に至るまで湯治客が、1日いくらと定められた自炊に要した木賃(薪代)を湯宿に支払うという木賃宿であった。
湯宿は湯治客に対し、寝具と自炊用具などを貸し与え、湯治客は宿で米を買い、付近の農家から野菜を買う。鮮魚は、日本海沿いの漁村から天秤棒でかついで運び込まれたものを購入して自炊する。入浴は泉源地にある湯屋へ出向くのが常であった。
湯宿を訪れる湯治客は、農民が多く、田植え後の泥落としの湯治をはじめ、夏湯治や寒湯治など、1週間から1カ月ぐらい長期滞在して休養、保養、療養などを行なった。
医学が未発達の時代においては、温泉の効能に寄せる期待は大きく、経済的にも安心して湯治を楽しむことのできる俵山温泉は、暮らしの傍らにあって、農閑期の癒やしと交流の場としてにぎわった。
青山緑水(せいざんりょくすい)の楽園(パラダイス)
明治・大正期になると、道路は東西南北に通じ、車馬の往来も自由になった。湯治客は福岡、広島をはじめ、県外からも多く訪れるようになり、中国大陸など、海外からの来客も増えていった。
明治後期に書かれた『俵山温泉誌』によると、趣味ある遊戯として、この頃には玉突きや蓄音機での音楽鑑賞が楽しまれていたようだ。また、湯宿で食事を提供するスタイルも登場している。管弦の調べを聴き、和洋料理を食しながら、地酒、ビール、葡萄酒、ウィスキー、サイダー、ラムネなどが飲まれており、当時のモダンでハイカラな俵山温泉の一面をうかがうことができる。俵山温泉を称して「人界の楽園(パラダイス)」という表現も使われている。

俵山温泉誌
明治期に書かれた俵山温泉の案内記。沿革や温泉療法の心得をはじめ、「山間の小都会」として、当時の盛況ぶりが記されている

木屋川の上流、正川。俵山温泉に5つある源泉はすべてこの正川沿いにある

杖をつきながら浴衣姿でカランコロン。時代を経ても変わることない湯治場の風景

鞄を肩から提げて配達する郵便局員。昭和へタイムトリップしたような情趣に富む
懐かしい原風景の俵山
熊野山公園からは、ひなびた山里のいで湯、俵山温泉の全景を見ることができる。季節に応じて魅せる山々の表情に赤瓦が映えて美しく、どこか懐かしい日本のふるさとだと実感できる風景が広がる。
俵山温泉は環境省の「国民保養温泉地」「国民保健温泉地」に指定されており、なんといっても泉質がいい。PH9.8。日本有数のアルカリ含有量を誇る単純泉は、肌にぬるりとからみ、疲れを癒やしてくれる。神経痛、リウマチなどに効能がある。湯温は38〜42度。やや温めだが時間が経っても湯冷めしない。
宿泊客は3つある共同浴場を利用する。明治・大正期さながらの外湯文化がそのまま伝えられ、温泉の原点に触れられるのは、温泉大国日本といえども俵山温泉しかないだろう。
最も泉源に近く、大浴場や家族湯のある「町の湯」。町の中心を流れる正川の清流を望む「川の湯」。露天風呂、足湯、ペット湯などがあり、レストラン、カフェ、ギャラリー、特産市場なども併設している「白猿の湯」。ここにはクァ・コンシェルジュ(温泉案内人)が常駐し、俵山温泉のことはもちろん、周辺の観光案内もしてくれる。3種3様の共同湯へ通い湯をしたり、浴衣姿で湯巡りするのもいい。
1000余年の歴史が息づく俵山温泉。季節は幾つ巡ろうとも、山里の湯治場には、人々に愛され続けてきた記憶が、今も色濃く刻まれている。

タオル片手に湯巡りをする子どもたち

【1】白猿の湯
平成16年にオープンした温泉施設。露天風呂、足湯、ペット湯などが完備。かけ流しの源泉や飲泉が楽しめる。和仏料理レストラン、カフェ、ギャラリー、特産市場も併設

【2】川の湯
湯町を流れる正川のほとりにある入浴施設。湯船からは四季折々に表情を変える清流が望める。地元の人たちの利用も多く、気軽に会話が楽しめる

【3】町の湯
湯町の中ほどにあり、熱めと温めの2種類の湯船のほか、家族湯もある。軽食喫茶や売店も併設

アクセス
車で
●中国自動車道・小月ICより約30分
●中国自動車道・美祢ICより約30分
JRで
●山陽新幹線・厚狭駅より美祢線・長門湯本駅下車、バスで約25分
●山陽本線・小月駅よりバスで約70分
●山陰本線・長門市駅よりバスで約35分
飛行機で
●山口宇部空港より車で約80分

熊野山公園から望む山々に囲まれた俵山の全景
「俵山グリーン・ツーリズム」では、
むらまち交流と農林業活性化のためのさまざまな「交流体験メニュー」を用意しています。
俵山の「農業名人」たちの案内のもと、豊かな自然、植え付けや収穫などの喜びを味わうことができます。
また、俵山のおいしいお米や野菜、里山の幸を使った地域食・伝統食なども味わえます。
農林業体験の後の温泉浴は格別です。
千年湯でグリーン・ツーリズム
俵山に吹く風は、さわやかな田園の香りを運んでくる。
人々は山々に囲まれた狭小の地で、開墾し棚田を作り、農地を広げてきた。シカも出ればイノシシも出る。苦労は少なくない。けれども盆地ならではの寒暖の差と清らかな水に育まれた米や野菜はうまい。収穫された農作物を利用し、昔ながらの技法で漬物やみそなどを作り保存する。ここには豊かな食文化が息づいている。
どこか懐かしい農山村の日常がある。農作業が一段落すれば、温泉で泥を落とし、疲れを癒やす。
こんなふるさとがあったらな。そんな思いに駆られてまちからむらへ。ゆっくり、のんびり、立ち止まれば、今まで見えなかった俵山の景色や暮らし、人々のおおらかな笑顔が見えてくる。
俵山の若者たちも、どこにでもある田舎をここにしかない田舎にしたいと立ち上がった。俵山地区発展促進協議会青年部会が中心となり、「農作業と農家の1日体験」や「郷土料理作り」など、たくさんの体験メニューを開発し、俵山温泉と一体となったグリーン・ツーリズムを推進中だ。案内するのは俵山の農業名人たち。
夏休み期間中には、東京など都会の大学生たちをインターンとして受け入れている。俵山を第二のふるさとのように思ってくれる若者たちも出てきた。
ここは、人も自然も生を謳歌する場所。都会の喧騒を離れ、いのちの洗濯に、いざ俵山へ。

![ほっと人心地山口[巻頭特集] 俵山温泉「千年湯物語」山里の湯治場。故郷の原風景に憩う。](./img/s_menu_tokushu1_off.gif)

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